頭が痛い。夜中に何度か目が覚める。
典型的な高山病の症状で一日が始まった。
出発前に深呼吸をして頭痛はだいぶ治まる。
クスコから電車の出発駅のあるオジャイタイタンボまでチンチェーロやウルバンバに寄り道しつつ行く予定。
まずはオジャイタイタンボ方面の小さなバスターミナルへ向かう。
(プーノやリマなどへのバスは町外れの大きなバスターミナルから発着する)
バスターミナルまでにすれ違う人々は月曜の朝だからかスーツを着て出勤する人、制服を着て通学する子供の姿が目立つ。
ウルバンバ行きバスはすぐに見つかりチケットを買って乗り込む。
バスは三〇人程が乗れる中型バス。全体的に古いがシートにはクッションが入っていてそれほど悪くはない。
一時間ほどでチンチェーロに到着する。
村人に教会はどこだと聞くと上だと言われた。
この街の丘の上に教会が建っていてその基盤にインカの石組みが使われているのだ。
Manco U通りを上り、途中左へ曲がると遺跡の入口とチケット売場がある。
ここで七〇ソル(US$二五位)払い中へ。オジャイタイタンボの遺跡と共通とはいえども高いなぁ。
上にある古い教会はまぁこんなもんかという感想。
基礎になっている遺跡はクスコと同じように石を隙間なく並べた様式。
所々で作業員が修復作業をしていた。
教会とチケット売場の間にはちゃんとした店舗から露天までみやげ物屋が多数出店している。
冷やかしで何件か見てみたが仲介を通していないからかクスコよりも少し安く買えるように感じた。
ここでチノ(中国人)と呼ばれたので日本人だぞと答えたら
おばちゃんが以前日本人が大統領をしていたぞと言っていた。(フジモリさんのこと)
そういえばフジモリ元大統領のペルーでのあだ名はチノだったっけ。
バスを降りたところに戻り、道でウルバンバ行きバスを捕まえ先を急ぐ。
チンチェーロはクスコよりも高いのだがウルバンバは二八〇〇メートルとかなり下がる。
(オジャイタイタンボも二八〇〇メートルほど。標高が低い分、高山病にかかりにくいのでクスコに着いたその日にオジャイタイタンボまで行ってしまう人もいるらしい)
街が近づくとバスはくねくねした道を下る。
上からウルバンバを見るとそれなりに大きな町ということがわかる。
ウルバンバのバスターミナルからオジャイタイタンボ行きのマイクロバスへ乗り換える。
元々韓国で走っていたバスらしく入口のところにハングルで何か書いてあった。
(ペルーには日本や韓国の中古車がかなり輸入されているようで他にも何回か見かけた)
そしてオジャイタイタンボ。中央広場が工事中で風が吹くと埃が舞い上がり粉っぽい。
安い宿を探そうとホテルを周っていたら西洋人の若い女性に声を掛けられる。
彼女の泊まっている宿が一泊二〇ソルというので行って見ることにした。
彼女は二八歳のオーストラリア人で金髪を細かく編みこんでいた。
チリのサンティアゴに一年近く住んでいたらしくスペイン語はそれなりにできるようだ。
そして宿。一般の家庭を民宿のように公開しているらしくじいちゃん、息子夫婦に孫。
そして良くわからないその他の人々。
部屋は鍵がかからなかったがシーツは清潔だったのでここに泊まることにした。
昼飯時、地元民が多数集まるレストランを発見。ようやく現地人プライスの食堂で食事ができた。
大体三.五ソル〜四.五ソル程度。観光地だとこの三〜四倍するから高いねぇ。
食後、鉄道駅がどこにあるか見に行く。
宿からは歩いて約一五分。長い一本道の行き止まりに駅がある。
思っていたよりも街外れだが歩けない距離ではないからまあいいか。
そして遺跡。横にも縦にもだだっ広い。
ここの石組みはクスコとは違っていて大きい石と石の間に小石が挟み込まれ雑な印象。
なんでこんなに違うんだ。もしかして後世に適当に復元したんじゃないんだろうか。
遺跡を歩いていたら笛の音がする。
何だろうと思っていたら昔中学校の授業で使っていたような縦笛を吹きながら胸にボタンが二つ浮き上がらせた変態日本女とすれ違った。
連れと日本語をしゃべっていたから日本人なんだろうが、一体何だったんだあれは・・・
遺跡が閉まるまでゆっくり周っていた。
遺跡の前にはみやげ物屋がありセーター、帽子、人形などなど買うことができる。
寝る前に宿の主人に明日は早朝に出発する旨伝えた。
いよいよ明日はマチュピチュだ。
聖なる谷で撮影した写真はこちら
クスコの近郊にはインカの遺跡が点在しておりそれらはまとめて聖なる谷と呼ばれている。
A:クスコ B:オリャンタイタンボ